勉強時間を劇的に削減する3つの極意 その1【ゴールから始める】

極意その1 ゴールから始める

電車や自動車に乗る時、たいていは目的地があるはずです。

学校に行きたい、会社に行きたい、映画館に行きたいetc.

もしも電車で映画館に行きたいのなら、まずは映画館の最寄り駅を探します。

そして、その最寄り駅につながる電車に乗ります。電車に乗ってから目的地を考える人はまずいません。

 

ところが勉強に関しては、みんな何故か

目的地を確認しないまま勉強を始めるのです。

 

勉強に関してよく聞く悩みがあります。

何から勉強したらいいか分からない」とか

勉強しても成績が上がらない」とか。

 

これは、

どの電車に乗ればいいか分からない

電車に乗っても目的地に着かない」と言っているのと同じことです。

学校に行きたいのか映画館に行きたいのか決めないと、どの電車に乗ればいいか分かりません。学校行きの電車に乗れば学校に着きます。映画館には着きません。

反対方向の電車に乗っている限りは、絶対に目的地には着かないのです。

 

勉強でも同じこと。まずは目的地(ゴール)を決めて、そこにたどり着く道筋を探すところから始めましょう。

 

「東大の受かり方」とは?

例として、東大受験において「ゴールから始める」を使ってみます。

東大に受かる方法は?と聞くと、

「たくさん勉強する」とか「偏差値を上げる」みたいな答えが返ってきますが、

これは、東京から札幌に向かうのに「新幹線に乗る」とか「グリーン車に乗る」と言っているようなものです。乗ったのが大阪行きの新幹線やグリーンでは札幌に着きません。一方、札幌に向かうのであれば飛行機でも自動車でも船でもいいのです。

実は、東大の受かり方というのは公開されています。

 

なんと、東大のホームページに掲載されているのです。

 

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平成28年の理科一類でいうと、第1段階選抜(いわゆるセンター足切り)で900点中728点を取り、第2次学力試験で550点中328点をとれば合格です。

第2次学力試験はセンターの900点が110点に圧縮して加算されていますので、センターも最低点の728点だったすると 728×110÷900≒89 点分がセンターでの得点になり、実際の2次試験では440点満点中239点をとれば合格です。

センターの得点率80.8%、2次試験の得点率54.3%で東大合格ということです!

意外と低いラインですよね。

 

さらに言えば、実はこの合格ラインの得点率は毎年安定しているのです。

img_0675※教学社の赤本より

理科三類を別格とすると、文科一類・文科二類・文科三類・理科一類・理科二類いずれも

センター8割、2次6割

前後が合格ラインになっています。第一段階選抜はもっと緩いときも多いです。この表は2012年からですが、私が受験した1999年度から10年ぐらい遡ってもこの数字は安定していました。

つまりは、センター8割、2次6割というのが東大合格のゴールになります。

 

次に調べるべきは、どんな問題で上記の得点を取ればいいのかということ。

これもまた、過去問として世に公開されています。

「東大って難しいのでしょう」という人は100%、この過去問を見たことすらありません。

映画館の場所も知らないのに「映画館って遠いのでしょう」と言っている人と同じです。

 

では、実際に過去問を調べると何が起こるのか。

 

「何を勉強すればいいか分からない」代表例である現代文をみてみましょう。

 

ここでは詳細を語りませんが、実は東大の現代文では、

設問が2パターンしかありません

その2パターンさえ対策すればよいわけです。

正確には漢字問題もありますが、どんな漢字が出題されるかというと・・・

 

(こうりつ)効率  (ちつじょ)秩序  (こうかん)交換 (2012年度)

 

拍子抜けするほど簡単ではないでしょうか?

世の人の殆どは、ゴールを確認することなく勝手に「難しい」とか「分からない」とか言っているのです。

ゴールから始める

これだけで、道のりはグンと縮まるのです。

日本人が苦手な英語をしゃべれるようになる、たった1つの方法

英語を苦手と感じている日本人は多いです。

小学校や中学校のときから始めて、大学まで10年以上学んでいるのにやっぱりしゃべれない。

意識の高い人は、通勤途中にリスニング教材を毎日聴いていたりしますが、なかなか身につかない。

 

だから、子供には英語で苦労させたくないと思い、頭や耳が柔軟と言われる小さなころから英会話学校に通わせたりします。

これからも、英語の必要性が高まることはあっても不必要になる時代はまず来ないでしょう。(自動翻訳の発達とか、もしかしたらあるかもしれませんが。)

だから文部科学省も英語教育に本腰を入れ、小学校から英語必修化が始まっています。

 

やはり、日本人の英語力を上げる決めては早期教育なのでしょうか。

 

 

・・・ここでちょっと待って欲しいのです。

実は、「英語がしゃべれない」と言っている多くの日本人が陥っている落とし穴は別にあるのです。

 

ここで、話題を変えてピアノにしてみましょう。

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「私、ピアノが弾けないのです。」

 

もしこう言う人がいたとしたら(ちなみに、私はピアノを弾けません)その理由は明らかですよね。

 

それは、ピアノを弾いていないからです。

 

ピアノを毎日弾けば、絶対にそこそこ弾けるようになります。

決して、日本人はピアノに向いていないとか文部科学省の音楽教育が悪いとかいう話にはなりません。

ところが、英語に関してはこういう議論になってしまうのです。

 

もっと言えば、英語をしゃべれるようになりたいと思う人がリスニングを頑張るのもピアノで考えると不思議なことです。

ピアノのCDを毎日聴いていたら、ピアノは上手になるでしょうか?

そう考えている人がいたら「バカか」と言いたくなりますが、英語に関してはそんなバカな考えを持っているのです。

もちろん、全く知らない曲はCDなどの音源を聴いてからの方が練習しやすいですし、ある程度上手になってからはトップピアニストの表現を参考にするのは非常に有益です。

同じように、英語のCDを聴いて参考にするのはそれなりに有益だと思いますが、ピアノが上達するのはピアノを弾いたときであるように、

英語が上達するのは英語をしゃべったときです。

 

ここまで話しても、「それはそうだけど、そもそも英語がしゃべれないんですよ」という人がいます。

日本の英語教育では、読む・書く・聞く・話すの4技能を学ぶことになっていますが、どうも

読む→書く→聞く→話す という順番でできるようになると思っている人が多いようです。

「辞書を使って読むのはなんとかできるんだけど、自分で作文するのは難しいし、聞いたり話したりなんてとんでもない!」だからまずは「読む」勉強から始めるというわけです。

 

これも、ピアノで考えるとおかしな話なのです。

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さあ、この譜面を「読める」でしょうか?

 

読めた方と読めなかった方が両方いると思いますが、一つ確かなことは

この譜面を読めた人はこの譜面を弾ける人であるということです。

 

 

これは、実は「ねこふんじゃった」の譜面です。

1.譜面を見て「ねこふんじゃった」と分かる(読む)

2.「ねこふんじゃった」の譜面を書く(書く)

3.「ねこふんじゃった」を聞いて音符が分かる(聞く)

4.「ねこふんじゃった」を弾ける(話す)

どれが一番簡単でしょうか?

 

どれが簡単で難しいということはないですよね。

むしろ、弾く(話す)のが一番簡単なような・・・。

 

 

ところが英語になると

I speak English everyday. という文を

「読めて、書けて、聞けてからじゃないと話せない」と考えてしまうのです。

 

そもそも、言語の始りは文字でなくて話し言葉です。文字がない時代から、人類は会話していました。

18世紀のイギリスではほぼ全員が英語を話していたと思いますが、文字を書けた人は20%程度しかいなかったと言われています。現在でも、文字が読めなくて英語を話せる人は世界中にいっぱいいます。むしろ、読み書きができない人とは学校に通えない教育水準の低い人たちのことで、「読む・書く」は高等技能と言えます。

外国語を練習するなら、本当は「読む・書く」よりも「聞く・話す」から始めた方が自然で簡単なんですよ。

 

では、「聞く」と「話す」はどちらから始めるべきなのでしょう?

私は、話せない言葉は聞き取れないと思っています。

これもピアノと同じで、例えば音を聞いて「ド・ミ・ソの和音だ!」と分かるには、ド・ミ・ソの和音を弾いた経験が必要です。

 

つまりは、英語の勉強をするなら、「話す」が一番最初

上級技だと考える必要はまったくありません。

問題は、学校のテストでは「話す」が少ないので、そのままでは得点に直結しないことぐらいでしょう。

ここについては、別の記事で触れたいと思います。

塾に通うと学校の成績は上がるのか?

え、あたりまえですよね。成績を上げるために塾に通っているのですから・・・

けれど、それは本当に正しいのでしょうか?

 

まず最初に白状しますと、私は学習塾や予備校に通ったことがありません。

学習塾や予備校がいかなるものか知ったのは、大学生になって塾講師等のアルバイトを始めてからです。

通わなかった理由は、ある考えがあったからです。

 

塾に通ってる奴に成績で負けるわけはない

 

これは小学校時代からですが、塾なんかに通ったら成績が下がると思っていたのです。

今思えば極端な考えですね。

が、かなりの部分正しい考えだったことを大きくなってから確信しました。

 

まず、学校の成績はいかにして決まるか検証していきましょう。

成績の付き方は、地域や学校・学年によって、5段階であったり10段階であったり、絶対評価や相対評価であったりしますが、揺るぎない共通点があります。

それは、学校の成績は学校の先生がつける。ということ。

塾の先生や文部科学省の役人がつけることはありません。

 

次に、学校の先生はどのように成績をつけるかというと、ほぼ間違いなく学校のテストによって決めます。わずかに、課題提出率等の指標も併用することがあります。

「ペーパーテストでは測れない生徒の意欲や個性を評価しよう!」みたいな教育論はありますが、実際の教育現場では、先生の主観をなるべく排除する客観的なペーパーテストで成績がつきます。じゃないと、保護者のクレームに対応できないからです。

「テストでクラス1番なのになぜ通知表が3なんだ!」というクレームに対して、客観的な根拠をだせればいいのですが、「授業中にぼんやりしていることが多いので・・・」という返事だと保護者は収まりませんよね。「お前はうちの子の何を見てるんだ!」と言いたくなります。

先生のお気に入りはテストの点数にいい成績がつくという噂もありますが、同じぐらいの点数でどちらかを4、どちらかを3にしないといけない場合など、最後の最後で影響があるぐらいでしょう。これも、保護者のクレームに対応できなくなるからです。

ここでのポイントは、成績はテストの点数で決まるものであって、勉強時間は評価の対象外であるということです。授業態度すら成績に関わるか曖昧なのに、自宅や塾での学習状況を評価に加える先生は絶対にいません。

 

さて、次に考えるべきは、成績を決める学校のテスト問題を作るのは誰か?どのように作られるか?ということです。

もちろん、学校のテスト問題を作っているのは学校の先生です。どのように作るかは、自作したり教科書から採ってきたり市販の問題集を使ったりといくつかパターンが有りますが、ほぼ間違いない共通点は授業中に教えたところから問題を出すということ。授業中にやっていないような応用問題はせいぜい1割程度に抑えるのが普通です。

勘違いされがちですが、多くの学校の先生は生徒に間違えさせようとはしていません。点数を取らせたいと思って問題を作っています。

だからテスト範囲は「教科書○ページから○ページ」みたいに明示しますし、重要ポイントは授業中にしゃべります。

さらに言えば、学校の先生も人間として「自分の話しを聴いてもらいたい」という欲求があるので、自分の話しを聴いていた子にいい成績を取ってもらいたいと思っており、授業をしっかり聴いていた子が点数をとれるように問題を作りがちです。

つまりは、学校の成績というのはほぼ間違いなく、学校の授業をどれだけしっかり聴いて理解しているかによって決まってくるのです。

 

こう考えると、塾のデメリットが浮かび上がってきます。

まずは、進度が必ずしも学校と一致しないこと。学校の算数で「速さ」が出てきてそれでいっぱいいっぱいなのに、さらに塾で「直方体の体積」が始まったら、与えられた情報が多すぎて処理できなくなる可能性があります。むしろ、これらを同時に処理できるのはかなり算数が得意で優秀な子と言えます。算数が苦手な子にはつらいでしょう。

「算数が苦手だから塾に通わせよう」と思ったのに、逆効果になることがあるのです。

 

また、先生によって重要視するポイントが違うことがあります。

例えば、学校の先生は思考プロセスを重要視して、塾の先生は回答スピードを重要視しているような場合。

どちらが正しいということはないのですが、同じような問題でも「塾で教えてもらった解法が学校のテストで使えない」ということがよく起こります。このような場合、一所懸命に勉強したのに結果がでないことになりますね。

 

冒頭の、小学生の私が「塾に通ってる奴に成績で負けるわけはない」と考えた理由はこのあたりにあります。学校の成績アップのみを考えた場合、塾で得られるの不必要な情報は単なるノイズであってむしろ悪影響を与える可能性があります。

その意味では、毎日塾に通うのも毎日ポケモンするのも本質的には変わりません。成績につながらない努力は、やっぱり成績につながらないのです。

 

あ、決して「塾に行くな」と主張している訳ではありませんよ。

受験を考えた場合は話が逆になり、学校の授業だけでは対応できません。

すっかり学校についていけなくなり、抜本的な対策がな場合も有用かもしれません。

「学校の成績を上げるために(目的)」「塾に行こう(手段)」と思ったとき、本当にその目的に対し手段が有効か考えてみましょうという話でした。