学校や塾には、先生がたくさんいます。
もちろん、教え方が上手で生徒がメキメキ伸びる素晴らしい方々も多いのですが、
私が納得いかないのは、その方々が
勉強を教えるプロであって、勉強の仕方を教えるプロではないということです。
例えば、
世界史に造詣が深く、興味深い話で生徒を引きつける名先生は存在して
その人に教えてもらえば、確かに世界史に詳しくなり成績も伸びるのでしょうが・・・
が・・・・
問題は、生徒は
世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育を
全部学ばなければならないということです。
つまり、良い先生に出会って勉強が楽しくなり成績が伸びるには
世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育
全科目の良い先生に出会わなければなりません。
このように全科目の良い先生に出会うということは、人生において奇跡的な幸運です。
そんな幸運な人は地球上に何人いるのでしょうか?
つまり、よい先生であるというなら、本来は
あらゆる科目で使えるように
「勉強」でなくて「勉強のやり方」を教えるべきなのです。
「教科について興味をもてば、勉強が楽しくなる」とは
よく言われることです。
先生も、生徒の興味をひこうと努力します。
が、もっともなことではあるのですが、その理論だと、勉強一般が楽しくなるためには
世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育全部に興味を持つ必要があります。
日本史の中だけでも、戦国時代に興味があるだけではダメで
弥生時代も飛鳥時代も奈良時代も平安時代も江戸時代も近現代も文化史にも興味がないと楽しくないということになってしまいます。
それは、遠い道のりです。
では、世の中の「勉強が楽しい」と言っている人はごくごく一部の変態なのでしょうか?
一言で言うと、彼らは変なのではなく、
「勉強のやり方」を知っているのです。
適切なやり方で勉強すれば、勉強は楽しくなり成果もでます。
勉強が楽しくのないなら、勉強のやり方が悪い
もし勉強が楽しくなければ、それはチャンスです。
なぜなら、今行っている勉強方法が正しくないということ、
改善の余地があるということだからです。
でも、正しい勉強のやり方を教えてくれる先生って、なかなかいません。
勉強を教えることは簡単だけど、勉強のやり方を教えることは難しいのです。
どういうことかというと、「正しい勉強のやり方」は一つでないから。
・目標にあった方法
・個人にあった方法
である必要があるからです。
学校の成績を上げたいのか、受験で合格をしたいのか、将来ノーベル賞を取りたいのか?
小学生か、中学生か、高校生か?
英語か、数学か、国語か?
それらの組み合わせで、正しい勉強のやり方は無限にあり、
結局、今必要で自分にフィットするものを選び取る必要があります。
こう言うとすごく難しいように感じるかもしれませんが、
そもそも学校で育てようとしている「学力」とはそういうものだと思います。
「学力」とは何かという議論では、
「教科書に載っている知識の理解度のこと」だとか、
「いやいやそれは古い学力観で、これからは思考力や問題解決能力を重視すべきだ」みたいな意見がでてきますが、
そんなにややこしいものではないでしょう。
学力とは、文字通りの「学ぶ力」。
つまり、
人生を豊かにする知識や技術、教養を身につける力のことです。
これは人類が生まれてからずっと必要とされてきましたし、
この先コンピュータが発達しようがAIが登場しようが変わらない定義です。
勉強のやり方を教えるプロとして、
学び方を教えるプロとして、このブログを書いていこうと思っています。