リモートワークが呼ぶ逆転の評価軸

 オフィスに社員全員が通勤する時代は終わり、各自が好きな場所やりやすい場所で仕事を行う「リモートワーク」の時代が訪れると言われてから何年も経ちました。しかし現実にはなかなか導入が進んでこなかった日本で、思わぬ形で強制的に「リモートワーク」が始まることになりました。

 実際にリモートワークを始めたところ、意外と仕事の効率が上がってやりやすくなったという人もいれば、同僚や部下とのコミュニケーションが減ってやりにくいと感じている人もいるでしょう。

 本稿を書いている2020年5月13日現在、新型コロナウイルスの感染者数は減少を続けており、オフィスへの出社が解禁になる会社も多くなってきそうです。しかし、今回を機会に、ウイルスの動向に関わらずリモートワークを拡大していこうという会社も増えてくることでしょう。

 私個人で言えば、リモートワークを中心に据えてから10年なのですが、
・リモートワークで効率的に仕事をまわすにはどうすればよいか?
・組織はリモートワークにどう対応していけばよいか?

ということについて少し書こうと思います。

 きっかけは、こちらのニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200424/k10012404611000.html
 社員が「着席ボタン」「離席ボタン」を押すことで勤怠が管理でき、パソコンの画面も自動的にスクリーンショットが送られるというシステムがあるそうです。笑い話かと思いましたが、実際に導入し役に立っている企業もあるようです。このようなシステムは本当に必要なのでしょうか?  

 答えは、能力レベルと自律性にあります。

自律性とパフォーマンスの関係とは?

 リモートワークの話に入る前に一般論ですが、「自律性」と「パフォーマンス」の関係について整理します。
 部下や外注先に仕事を依頼することをイメージしてください。「自律性」とは、部下や外注先がどのくらい自主的な判断をもって行動するかということです。自律性が低いということは、その部下や外注先が自分で判断して行動しません。極端に低いと「言われたことしかしない」ということです。逆に、自律性が高いということは、部下や外注先が自分の判断で行動するということです。極端に高いと、「何も言うことを聞かない」ということです。

 あなたが上司だとしたら、「言われたことしかしない部下」と「何も言うこと聞かない部下」、どちらに仕事を頼みたいでしょうか? 

 もちろん、両方ともイヤですよね。両方とも、仕事のパフォーマンスが低いことは容易に想像できます。当たり前ですが、「大まかな指示を出したら、細かいことは自分の判断でやってくれる」そんな「ちょうどいい自律性」の部下に仕事を頼みたいです。

 反対にあなたが部下だったら、「パソコンの電源の入れ方からタイムカードの押し方まで細かく指示を出してくる上司」と、「会社の方針も目標も何も指示しない上司」どちらの上司の元で働くとパフォーマンスがでそうでしょうか?

 これも両方やりにくい上司になるでしょう。やはり、「大まかな指示を出してくれて、細かい判断については裁量をくれる上司」あたりがやりやすいと思います。

 どんな人にもどんな組織にもあてはまるのですが、一番パフォーマンスが高くなるのは、「ちょうどいい自律性」を持っているときです。グラフにすると次のようになります。

 非常に当たり前の話になりますが、真ん中の、ちょうどいい自律性を与えられると、パフォーマンスが一番よくなるのです。

管理を強めるべきか?弱めるべきか?

 リモートワークを行うということは、上司の目が届きにくくなります。必然的に管理が弱まり、自律性が与えられます。このときパフォーマンスは上がるのでしょうか? それとも下がるのでしょうか?

 結論としては、パフォーマンスが上がるか下がるかは「人による」です。しかし、そのどちらになるか基準は明白です。
 もし、この自律性とパフォーマンスのグラフの真ん中から左にいた場合、管理が弱められて(自律性が与えられて)パフォーマンスが上がります。逆にグラフの右よりにいた場合、管理が弱められて(自律性が奪われて)パフォーマンスが下がってしまうのです。

 リモートワークを始めたら、パフォーマンスがよくなった人と悪くなった人がいると思います。前者はグラフの左よりにいて、会社の管理が強すぎるが故に本来の力が出せなかったひとであり、後者はグラフの右寄りにいて、会社の管理から外れて怠けたりサボったりするようになってしまった人でしょう。

 自律性を与えることでパフォーマンスが下がってしまうのならば、やはりニュース記事のような勤怠管理システムを導入して管理を強くするべきかもしれません。逆に、会社の管理を離れることで実力を出せるようになった人には大迷惑なのですが。

 ただし、ここで見過ごしてはならない大きな要素があります。その部下や外注先の「能力レベル」です。

能力レベルが上がると、グラフも移動する

 グラフの頂点(真ん中)からどちらによっているかで管理を強めるか弱めるか判断すればよい書きましたが、もちろん、グラフの形自体が人や組織によって違います。そしてその正確な形を把握することは難しいです。
 しかし、正確な形はひとそれぞれで把握することは難しいですが「能力レベルが高まるとグラフが右上に移動していく」という傾向は誰でも共通しています。

 「能力レベルが高い人ほどパフォーマンスが高い」というのは当たり前というか、言葉の定義そのものです。能力レベルが1→2→3と上がっていけば、発揮するパフォーマンスも上がって当然です。重要なポイントは、「能力レベルが高まるほど、高いパフォーマンスは高い自律性と相関する」ということです。

 新人のアルバイトをイメージしてください。何も仕事を知らない新人だとすると、なるべく細かいマニュアルを整備して、細かい指示を出してあげた方がパフォーマンスを発揮します。だんだん仕事を覚えてくると、大まかな指示だけで自走するようになります。自律性が高まった段階で細かく口を出すと、アルバイトの時間も上司の時間もとられるだけで、仕事のパフォーマンスには害悪です。

 能力レベルが高くなると、高い自律性を与えることで高いパフォーマンスを発揮するようになるのです。

 逆に言うと、高い自律性を与えるとパフォーマンスが下がる部下や外注先とは、能力レベルが低い部下や外注先です。

 もしリモートワーク導入にあたり、管理を強くする(自律性を奪う)方策をとらざるを得ないなら、ハッキリと言ってしまえば「従業員の能力レベルが低い」ということを意味します。別にこれ自体は悪いことではありません。人類全員の能力を上げる必要はありませんし、人間の価値は仕事能力の上下で決まるものでもありません。ただ、会社のリソースをどこに集中すべきかと言えば、従業員の管理でなくて従業員の教育であるべきでしょう。

 従業員の教育と言っても、(特に優秀でない従業員を対象とするならば)リモートでは難しい面があります。能力を伸ばすために教育するときこそ、本当にオフィスが必要なのかもしれません。

 もしかして、「リモートワークが標準となり、会社に通うのは教育途中の新人だけ」という時代が間もなくやってくるのかもしれません。欠勤遅刻なく通勤する人が評価されるのではなく、会社にやってこない人が優秀とされる、評価軸が180度逆転する時代です。

「コミュニケーション能力」と「受験勉強」の意外な接点

「コミュニケーション能力」の謎

「コミュニケーション力が重要」とは良く聞く言葉です。

企業の新卒採用では必ず「コミュニケーション能力を重視する」と言われます。今回はグローバルリーダーを目指す高校生達に話をしてきたのですが、グローバルリーダーの条件にも上位項目として挙げられます。

でも、「コミュニケーション力」って結局何なんでしょう?

この質問について具体的に答えられる人は非常に少ないです。けれどもなんとなく、「コミュニケーション力が大事」「コミュニケーション能力を育てよう」と言っているのです。

このコミュニケーション力とは何なのか?そしてなぜ「コミュニケーション」と無関係そうに見える「受験勉強」と関係があるのか?これを後輩である高校生達に紹介してきました。

次の画像は、そのプレゼンテーションで使ったスライドの1枚です。

コミュニケーションの因数分解

まず整理したいのは、コミュニケーション力とは、「受け取る力」と「伝える力」でできているということです。

「受け取る力」とは、話を聴いたり文章を読んだり空気を読んだりする力のこと。

相手の伝えたいことを受け取ってあげる力のこと。

「伝える力」とは、喋ったり文章を書いたり絵を描いたり歌ったりして自分の想いを相手に伝える力のことです。

ここで忘れられがちなのが、「受け取る力」の方です。

本当はどちらも同じぐらい大切なのですが、どうも他人に自分の意見を伝える能力こそがコミュニケーション力だと思っている人が多いのですよね。

ビジネスの世界では、「伝える力を鍛えましょう」とはよく言われます。そのためのセミナーや本もたくさんあります。パワーポイントの使い方とか、上手なスピーチの喋り方とか。

『伝え方が9割』という本はベストセラーになりました。

ところが、「受け取る力を鍛えましょう」とはなかなか言われません

ここで重大な問題が生まれます。本当は「受け取る力」と「伝える力」でコミュニケーションの両輪なのに、「伝える力」だけの方輪走行でエンジンをふかそうとする人が多いのです。

片方の車輪だけではまっすぐ走れないように、「伝える」一方ではコミュニケーションが明後日の方向に暴走してしまうのです。自分の話を聞かずに一方的にまくしたてる相手とは話をしたくないですよね?

私が敬愛するスティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』でも述べられていますが、相手に理解されるのは、自分が相手を理解してからなのです。

暴走する受験勉強

片輪コミュニケーションと同じように、明後日の方向暴走してしまいがちなのが受験勉強です。

受験勉強を「知識の暗記」だとか「解法の練習」だと思ってしまうと勉強はムチャクチャ非効率になります。

どれだけ時間をかけて必死に勉強しようと、まっすぐ進まない車ではいつまでたってもゴールに辿り着きません。どんな苦労も報われないのです。

このブログや、拙著『賢者の勉強技術〜短時間で成果を上げる「楽しく学ぶ子」の育て方〜』で何度も強調しているように、勉強の本質とは「他社理解」です。受験勉強で言えば、出題者が発しているメッセージをいかに受け取ってあげるかということです。

例として、東大入試2019年度の現代文を見てみましょう。

東大入試問題(2019年)国語第1問

(一)(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
(二)(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
(三)(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
(四)(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。
(五)漢字を楷書で書け
   a コウケン b ダイタイ  c サイキン

なんとビックリ!東大の現代文は全部同じ設問なのです。

傍線部とはどういうことか、説明せよ。

という1パターンだけ。

実は、私が受験した20年前は設問は3パターンあったのですが、ここ数年は2パターンで安定しており、ついに今年は1パターンになってしまいました。

現代文とは「勉強の仕方が分からない」と言われる教科の筆頭なのですが、東大入試に限れば勉強の仕方は明らかです。「傍線部とはどういうことか、説明せよ」という問題だけ対策すればよいのです。

結局の所、入試問題とは出題者からのメッセージであって東大は「どういうことか説明」できる人材を求めているということです。東大現代文対策はただ一つ、このメッセージに応えればよいだけなのです。

ちなみに(五)の漢字問題は a.貢献 b.代替 c.細菌 が解答です。

最高学府と呼ばれる東大の問題にしては簡単すぎる気がしますね。

ちなみに、漢字問題の配点はひとつ1点と言われています。仮にこの漢字問題を落としたとしても合否に影響することはあまりないでしょう。

おそらく受験者のほとんどが正解するぐらい簡単で、しかも配点が少ないのに果たして出題する意味はあるのか?とも思うのですが、実際は何十年もこのような簡単な漢字が出題されています。

確認できた限りは、30年以上この簡単な漢字問題が出題されています。

この簡単な漢字問題も、東大からのメッセージです。「この程度の漢字は書けて欲しいけど、書けなかったからといって落としはしないよ。」ということを伝えたいのですね。

「受験勉強として漢字問題集を頑張る必要はない。ただし、これぐらいの漢字が出てくる文章は読み慣れておくべきだ」というメッセージを受け取ってあげましょう。

出題者の伝えたいことを理解してあげれば、受験勉強はまっすぐゴールに向かい効率的になるのです。

「受け取る」ことは「敗北」ではない

このように社会でのコミュニケーションでも、受験勉強でも大事な「受け取る力」ですが、忘れられがちになってしまうには理由があります。それは

「相手を理解することは自分の敗北を認めることだ」とい勘違いしてしまうことです。

相手を理解するとは、相手の正しさを認めることで、ひいては自分が間違っていると認めることだと勘違いしてしまうのです。

しかし実際は、相手を理解しても自分が敗北するわけではありません。

孫氏に「彼を知り、己を知れば百戦殆からず」という言葉があります。

孫氏は、仮に戦争で相手をやっつけることが目的であったとしても、まずは相手の理解が必要だと言っているのですね。

相手を理解せずに仲良くなることはできないのはもちろんのこと、相手を理解せずに戦争や論争で勝つこともできません。

相手と自分、どちらが正しくどちらが間違っているかを決めるのは相手を理解してからです。

相手を好きになっても嫌いになってもいいのですが、それは相手を正しく理解してからです。

受験勉強もまずは、出題者のメッセージを受け取ってあげるところからがスタートです。好き嫌い、できるできないを決めるのはその後なのです。

子ども時代の教育で人は決まるのか?

安城、岡崎と二件続けて愛知県で講演&ワークショップをさせていただきました。

二件とも、小学生の子を持つ親御さん向けのイベントです。
「子どもが楽しく勉強するには、親として何をすればよいのか?」というのが
大枠のテーマでした。

小学生向けと言いながら、実際は1〜2歳のお父さんお母さんから中学生の参加があり
子どもの教育に対する関心の深さが伺えます。

さて、子どもにはよい教育を与えたいと考えている
教育熱心なお父さんお母さんは多いのですが、
子ども時代の教育とは、結局の所その子にの将来に対して
どの程度影響があるのでしょうか?

教育関係の仕事をしている身で言うと自己矛盾するようですが、
私は「教育で人は決まらない」と考えています。

いわゆる崇高な教育者ほど、教育の目的に掲げるのは「知識・技術の習得」ではなくて
「人間性の完成」や、結果としての「社会的成功」です。
よい教育とは、子どもの人間性を育てて、最終的には社会的な成功をもたらすものとされています。

しかし実際は、
人は、どんな環境で育ったとしても
いつでも、自分の望む人間になることができます。

今の自分は教育や環境のせいではない。

受けた教育によって人生は決まらないのです。

当たり前のように、親や教師は子どもの成長に責任を持つものとされます。
しかし、親や教師が子どもの人生を決める責任はありません。決める能力もありません。

親や教師ができることは、ただ自分が必要だと思うこと、美しいと思うこと、楽しいと思うことを伝えることだけです。
教育とはコミュニケーションであって、コントロールでないのです。

学校は決して「子どもの生き方を矯正する場所」ではありません。
あくまで子ども自身の、自己実現の手段を提供する場所です。

子どもが道に迷っているのであれば、案内してあげてもらいたい。
重い荷物に押しつぶされそうになっているのであれば、大きくなるまでそれを持ってあげてもらいたい。
しかし、進む道を決めて道を歩むのは、必ず子ども自身です。

子どものために良かれと思って、学校に通わせ塾に通わせ宿題をやらせていても、
スタート地点が「親の不安」であると、何をやっても不安が増して行くだけです。
教育熱心なお父さんお母さんには、子ども自身に内在する無限の可能性からスタートして欲しいと思います。

二件とも、そういう想いでの講演だったのですが、伝わったかなぁ。

勉強好きになる唯一の方法

7/28のイベントでは、台風が接近する中、多くの方に参加していただきました。

ここで強調したのは、
「人間は、生まれたときは全員勉強好き」ということです。

子どもはみんな勉強好きなのですが、とあるタイミングで勉強嫌いになってしまうのです。

 

では、一度子どもが勉強嫌いになってしまったら、どうやって勉強好きに戻せばいいのでしょうか?

 

答えは単純です。勉強嫌いになる最大の理由は

「分からない」「できない」からなので、

分かるようになればいい。できるようになればいいのです。

 

当たり前であるし、それができれば苦労しないと思う方も多いでしょう。

しかし、このように吹っ切れないから遠回りをしていまうのです。

 

一般には、

勉強の意義や目的が分かると→勉強好きになって→勉強ができるようになる

と考えられています。

だから、子どもに勉強好きになってもらいたいという親や先生は、勉強の必要性や意義を必死に子どもに説きます。

いかに勉強が将来役に立つかとか、どれだけ科学が社会に貢献しているかとかを説明します。

しかし、現実は反対向きです。

 

勉強ができるようになると→勉強が好きになって→勉強の意義や目的も分かってくる

という方が自然な順番なのです。

 

勉強好きになりたければ、勉強の目的が分かりたければ、まずは目の前の勉強を「できるようにする」「分かるようにする」のが最短の道のりです。

 

イベントでは、勉強を「できるようにする」「分かるようにする」この夏休み最善の行動は何かという話をしました。

 

夏休みに一番必要な勉強は、塾の夏期講習でも自由研究でもありません。

誰でもできるのに誰もやらない勉強方法なのですが、一番必要なのは

一学期のテストの見直しです。

テストの見直しが非常に効率的な勉強方法であるということは、こちらの記事でも書きました

 

一学期のテストを見直すというのは、非常に後ろ向きな行動に見えます。

一学期でた問題は二学期のテストにでませんし、過去より未来を見て生きた方が楽しそうです。

 

しかし、テスト問題で重要なのは問題そのものや知識ではなくて、出題者の意図自分の理解です。

出題者の意図と自分の理解が一致していれば100点がとれますし、ズレていれば点が悪くなります。

出題者の意図は、一学期でも二学期でもそんなに変わりません。一学期に出題者の意図を理解できれば、二学期になっても理解できるのです。

 

何よりも、一学期のテストを見直すことで、確実に「分かること」「できること」が増えます。

増えた分だけ勉強が好きになって、好きになると、勉強の本当の意義や目的も見えてきます。

 

勉強好きになる唯一の方法は、一つでも「分かること」「できること」を増やしていくことなのです。

 

 

「勉強好きの子どもを育てよう」という罠

夏休みに入ったので、

「楽しく勉強する子が勝手に育つ お父さんとお母さんのための賢者の子育て!」

というタイトルでイベントを開催しました。

 

会場を提供してくれたのは六本木のお寺、妙善寺さんです。

なんと、グランドハイアットの隣です。

 

台風が接近しており、開催するか最後まで悩んだのですが、

結果的には多くの方が来てくれました。

 

さて、今回のテーマは「楽しく勉強する子が勝手に育つ」にはどうしたらよいかということなのですが、

実はこのテーマには大きな罠が潜んでいます。

もちろん、それを知りつつわざわざ選んだテーマなのですが。

 

「子どもを勉強好きにするにはどうすればいいか?」

「勉強に対しどのように動機づければいいのか?」

「どうしたら子どもの好奇心が育まれるのか?」

教育熱心なお父さんお母さんはこのようなことを考えます。

素晴らしいことなのですが、実はこれが「反対」なのです。

 

次のグラフは、ベネッセと東大の調査で「勉強が好きでない」と答えた子どもの割合です。

出典:ベネッセ・東大社会科学研究所「子どもの生活と学び」研究プロジェクト 2017

「中学生になると6割が勉強嫌い!大変だ!」という文脈でニュースになった調査ですが、

面白いのは学年を経るごとに「勉強嫌い」が増えていることです。

小学校の段階では勉強嫌いは3割もいないのに、中学生になると6割近くに増えるのです。

このグラフを見る限り、子どもは成長の課程で勉強好きになるわけでなく、学校に通っている間に勉強嫌いになってしまうのです。

「いかに子どもを勉強好きにするか?」よりも

「いかに子どもを勉強嫌いにさせないか?」の方が現実的な問いなのです。

 

もう一つ興味深いのは、小学1年生から3年生までのグラフです。

このグラフで小学1年生から3年生までで色が違うのは、子ども本人でなくて保護者に聞いたデータということです。

小学3年生で勉強嫌いが35.9%、小学4年生で26.7%となっていますが、これは4年生になると突然勉強好きが増えるわけではないでしょう。

おそらく、小学3年生も、子ども本人の自己評価では「勉強嫌い」は4年生と同じ20%から30%と思われます。

親が思っているよりも、子どもたちは「勉強好き」なのです。

 

とすれば、親から見ると勉強嫌いの小学1年生は21%ですが、実際は10%ぐらいなのではないでしょうか。

そして、このペースで行けば、3歳ぐらいの時点では勉強嫌いはほぼ0。ほぼ全員が勉強好きということになります。

そう、人間は生まれたときは全員が勉強好きなのです

 

ではなぜ勉強好きで生まれた子ども達は、だんだん勉強嫌いになってしまうのでしょうか?

イベントで紹介した、子どもが勉強嫌いになる3大理由は次の通りです。

 

1.できないから。分からないから。

勉強嫌いになる最初にして最大の理由はこれです。

基本的に、勉強が楽しい理由は好奇心と達成欲が満たされるからです。

しかし、できないわからないと好奇心も達成欲も満たされません。楽しい理由がなくなってしまうのです。

勉強が好きになると→たくさん勉強して勉強ができるようになる。成績が上がる。

と考えている人が多いのですが、実際は反対向きです。

勉強ができると、分かると→勉強が好きになるのです。

 

2.勉強はつらいもの、つまらないものだと教えられる

「勉強っておもしろい」

「テストが楽しみ」

こんなことを言いだすと、変なやつだと思われます。日本の社会ではなぜか、

「勉強はつらいものであるべきで、楽しくあってはならない」と教えられます。

生まれたときには楽しく感じていた勉強も、社会や学校で「つまらないものだ」と教育されてしまうのです。

 

3.勉強嫌いを作り出す魔法の言葉。「将来役に立つからね」

子どものためを思ってかけるこの言葉に、危険が潜んでいます。

まずは「勉強が役に立つ」かというと、概ね小学生で習うことについては正しいのですが、中学生以降から現実からの乖離が始まります。

ひらがなを習うとすぐに手紙を書けるようになるし、小数の掛け算ができると消費税の計算ができて役に立つのですが、中学生で習う二次関数を役に立てる場所はなかなかありません。

もちろん、二次関数がないと携帯電話も自動車も作れないし天気予報もできないので、ものすごく人類の役に立っているのですが、実際に二次関数を役立てている人は数%しかいないでしょう。

つまり、勉強したことが役に立つ可能性は数%ということです。

中学生以降、勉強嫌いが増える理由はここにもあります。実際は役に立たない事を「役に立つ」と教えられると、勉強は嫌いになり大人を信用しなくなります。

そして「将来」という言葉。

大人からみれば勉強する目的は将来のためなのですが、本来勉強が楽しいのは「できた瞬間」「わかった瞬間」です。

その楽しい瞬間を、将来に先延ばししなさいと言われるのです。

せっかく今勉強を楽しもうとしていても、それを許してくれないのです。

 

これら3つの理由で、子どもは勉強嫌いになります。

そしてそのうち2つは、完全に大人に責任があります。「勉強を楽しむな!」と教え込む大人たちです。

それななのに、「勉強を好きになりなさい」と言い出すのはまさにマッチポンプ。

わざわざ勉強嫌いにさせておいてそれはないでしょう、と子どもたちは思っているはずです。

 

さて、このように生まれたときは全員勉強好きである子どもたちですが、とあるタイミングで勉強嫌いになってしまうことがあります。

では一度勉強嫌いになってしまったら、どのように勉強好きに戻ればよいのでしょうか?

イベントではこの点についてもお話したのでまた記事にしますね。

出版しました【賢者の勉強技術 〜短時間で成果を上げる「楽しく学ぶ子」の育て方〜】

ブログの記事が、パワーアップして本になりました。

———–
賢者=「最短時間で楽しく最大の成果」を得る者
愚者=「努力は苦労」と履き違えている者

勉強はシンプルだった。
先生の本音を知れば、効率的で楽しい勉強技術は身につけられる。
教師家庭に育ったからわかった“勉強の本質”とは。
———–

「うちの子はゲームばかりで、勉強しなくて…」
「つらくても勉強すれば将来必ず役に立つのに…」
「かと言って、勉強ばかりのガリ勉にはなって欲しくないし」
「無理やり勉強させたらグレるかも?」
「うちの子はいつから塾に通わせたらいいの?」
「中学受験はさせるべき?」

上記のような悩みを持つ方に伝えたい、塾には一切行かずに、半年の受験準備で東大(理I)に現役合格した著者が構築した勉強技術とは。

教育はシンプルです。もしも教育が複雑に見えるなら、それは教育の見方に誤解があります。

教育がシンプルな理由

1.「効率的な勉強方法」は存在するから
2.「楽しい勉強方法」も存在するから
3.わが子の教育に責任を持っているのは親「ではない」から

勉強しているように見えないのに成績がよく、たいして苦労せず受験に受かる子たちは人並み外れた頭脳を持っているわけではなく、これらの勉強方法を実行しているからです。本書では、子どもがみるみる勉強して成果を上げる――そんな教育の真実をお話ししていきます。

 

目次

はじめに

第1章 学校という現場――先生の本音を知れば、子どもの努力をムダにせずに済む

■ 宿題で学力は伸びない
■ 宿題を10分で終えると怒られる
■ 先生のお気に入りは成績がよい?
■ テストは味方
■ テスト問題の予想は実力勝負
■ 勉強量ではなく勉強効率を上げなくてはならないワケ

■ 「努力」と「苦労」は別物です

第2章 主体性の正体――勝手に伸びる子を育てる秘訣は子どもの立場を知ること

■ 大人と子どもは生きている時間が違う
■ 子どもの成長に合わせて親の接し方を変える
■ なぜうちの子はゲームばかりして勉強しないのか?
■ 子どもは勉強が嫌いというのは本当か?
■ 勉強嫌いを育ててしまう「将来のため」という言葉
■ 「勉強させるには興味を持たせる」ことの罠
■ 勉強のやる気が出ないのは、勉強の仕方がわからないから

■ やりがいが生まれるのは、自分が立てた目標

第3章 最強の勉強技術――最短時間で最大の成果を上げる効率的な勉強法

■ 勉強とは暗記ゲームではなくてコミュニケーションである
■ 単純だが効果が高い「先生の話を聴く」こと
■ 塾に成績を上げる効果はない
■ 「親の年収と子どもの学力は比例する」!?
■ 偏差値を上げると受験に落ちる!?
■ 答え合わせは勉強の8割!
■ 高速で実力が上がる、答え合わせの五原則
■ デジ タル教材の効果が 薄い本当の理由
■ 学校の成績を上げるためのベスト勉強タイミング
■ 最強のノート術は「板書丸写し」
■ 劇的に勉強観が変わる「出題」の練習
■ どうやって「憶えるのか?」ではなくて、どうやって「憶えないか?」
■ 予習は不要

■ 5分で終わる効果的な復習

第4章 親にできるサポート――子どものやる気を引き出す声のかけ方

■ 勉強において、叱る場面は存在しない
■ 必ず成果が 出る目標の立て方
■ ペーパーテストの点数だけを目指していいのか? その通りです。
■ 子どもの将来を思うほど、目先のことに集中させる
■ 夢が現実になる「目標のブレイクダ ウン」という技
■ 立ててはいけない五つの目標
■ すぐに褒める。こまめに褒める。いちいち褒める。
■ ご褒美作戦の効果が薄い理由
■ 先生が嫌いという目標 先生が好きという目標
■ 教材を箱にしまうと成績が上がる!?

■ 東大生の不思議な分布

第5章 「勉強」の本質――子どもに手にしてもらいたい自立と自由

■ 学歴で手に入るのは、成功で も安定で もなく自由と可能性
■ 中学受験をどう考えるか? 中高一貫校に行くと成績が下がるというデータ
■ 高校受験できないことの知られざるデメリット
■ 中学受験は日本最難関のテスト
■ 浪人リスクをどう考えるか? 中学受験の分岐点
■ 目隠しで大学受験をしないために
■ 結局、中学受験のメリットは何なのか
■ 酢豚ゴルフ論争に隠された本当の「学力」
■ ついにわかった「勉強」の正体
おわりに――父と母へ

勉強を教えるプロと、勉強のやり方を教えるプロ

学校や塾には、先生がたくさんいます。

もちろん、教え方が上手で生徒がメキメキ伸びる素晴らしい方々も多いのですが、

私が納得いかないのは、その方々が

勉強を教えるプロであって、勉強の仕方を教えるプロではないということです。

 

例えば、

世界史に造詣が深く、興味深い話で生徒を引きつける名先生は存在して

その人に教えてもらえば、確かに世界史に詳しくなり成績も伸びるのでしょうが・・・

が・・・・

 

 

問題は、生徒は

世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育を

全部学ばなければならないということです。

 

 

つまり、良い先生に出会って勉強が楽しくなり成績が伸びるには

世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育

全科目の良い先生に出会わなければなりません。

 

このように全科目の良い先生に出会うということは、人生において奇跡的な幸運です。

そんな幸運な人は地球上に何人いるのでしょうか?

 

つまり、よい先生であるというなら、本来は

あらゆる科目で使えるように

「勉強」でなくて「勉強のやり方」を教えるべきなのです。

 

「教科について興味をもてば、勉強が楽しくなる」とは

よく言われることです。

先生も、生徒の興味をひこうと努力します。

 

が、もっともなことではあるのですが、その理論だと、勉強一般が楽しくなるためには

世界史と日本史と地理と公民と数学と英語と古文と漢文と現代文と物理と化学と生物と美術と音楽と体育全部に興味を持つ必要があります。

日本史の中だけでも、戦国時代に興味があるだけではダメで

弥生時代も飛鳥時代も奈良時代も平安時代も江戸時代も近現代も文化史にも興味がないと楽しくないということになってしまいます。

それは、遠い道のりです。

 

では、世の中の「勉強が楽しい」と言っている人はごくごく一部の変態なのでしょうか?

 

一言で言うと、彼らは変なのではなく、

「勉強のやり方」を知っているのです。

適切なやり方で勉強すれば、勉強は楽しくなり成果もでます。

 

勉強が楽しくのないなら、勉強のやり方が悪い

 

もし勉強が楽しくなければ、それはチャンスです。

なぜなら、今行っている勉強方法が正しくないということ、

改善の余地があるということだからです。

 

でも、正しい勉強のやり方を教えてくれる先生って、なかなかいません。

勉強を教えることは簡単だけど、勉強のやり方を教えることは難しいのです。

 

どういうことかというと、「正しい勉強のやり方」は一つでないから。

・目標にあった方法

・個人にあった方法

である必要があるからです。

 

学校の成績を上げたいのか、受験で合格をしたいのか、将来ノーベル賞を取りたいのか?

小学生か、中学生か、高校生か?

英語か、数学か、国語か?

 

それらの組み合わせで、正しい勉強のやり方は無限にあり、

結局、今必要で自分にフィットするものを選び取る必要があります。

 

こう言うとすごく難しいように感じるかもしれませんが、

そもそも学校で育てようとしている「学力」とはそういうものだと思います。

 

「学力」とは何かという議論では、

「教科書に載っている知識の理解度のこと」だとか、

「いやいやそれは古い学力観で、これからは思考力や問題解決能力を重視すべきだ」みたいな意見がでてきますが、

そんなにややこしいものではないでしょう。

 

学力とは、文字通りの「学ぶ力」

つまり、

人生を豊かにする知識や技術、教養を身につける力のことです。

 

これは人類が生まれてからずっと必要とされてきましたし、

この先コンピュータが発達しようがAIが登場しようが変わらない定義です。

 

勉強のやり方を教えるプロとして、

学び方を教えるプロとして、このブログを書いていこうと思っています。

学校の成績を上げるのに最高の勉強タイミングとは

学校成績を上げるのに、ここを逃してはならない

最高の勉強タイミングというものがあります。

 

でも残念なことに、ほとんどの人はこのタイミングを活用せずに

不効率な勉強に陥ってしまうのです。

 

ここでいう「タイミング」とは、一日のうち何時ごろに勉強すればいいかという話ではなく、

学校の定期テスト対策をする上で一番効果的な日のことです。

この最高のタイミングとは、いつでしょう?

 

 

この質問を高校の教師をしている友人したら、彼女の答えは「授業中」でした。

なるほど、さすがは学校の先生!

テストで出る重要ポイントは必ず授業中に強調されますし、

先生の声や板書、まわりの様子と同時に頭に入って定着がよさそうです。

非常に的を得た回答だと思います。

 

しかし、授業中の勉強が効果的だとしても、

定期テスト範囲が20時間の授業相当だとすると

テスト範囲をカバーするのに最低20時間かかるわけです。

 

なんとこれよりも効率的に勉強できるタイミングがあるのですね。

 

では、「テスト前日」というのは?

これもなるほど!忘却曲線を考えると、

2日経ったり3日経ったりするだけで、記憶していたものが急速に薄れていきます。

前日に勉強したことは、テスト当日に憶えている可能性は高くなります。

理論的には、効率的な勉強タイミングと言うことができるでしょう。

 

しかし、こういういわゆる「一夜漬け」に頼る人に限って

成績が良くないという事実があるのはなぜでしょうか。

どうやら、テスト前日にたくさん勉強すれば成績が良くなるということはなさそうです。

 

最高の勉強とはいつか?

 

この質問の正解は・・・・

 

 

「テストが返ってきた日」

なのです。

 

 

テストが返ってくる日なんて、

テスト勉強も終わってホッとしているときにやってくる

残念な結果通知の日!しかも過去の話!

としか思っていない人が非常に多いのです。

 

しかし、本当はこの日に勉強しなくていつするの?

というぐらい濃密で効率的な勉強が可能な日なのです。

 

なぜなら、この日は

自分が今まで行ってきたことが正しかったのか間違っていたのか

はっきりと分かる日。

 

勉強したところはテストにでたのか、でなかったのか?

どこで点が取れて、どこで取れなかったのか?

予想通りの問題だったのか、意外な出題だったのか?

間違えた問題があったら、理解が不足だったのか

練習が不足だったのか、解答スピードが不足だったのか?

 

結果に照らし合わせて、

自分がやってきたことが成果を出しているなら継続する。

的はずれなことをしていたなら改善する。やめてもいい。

より成果を上げるため、明日からの行動がこの日に決まるのです。

 

返却されたテストとは、

過去の結果ではなくて未来の道標なんですね。

 

 

ビジネスの世界では、

「PDCAサイクル」という言葉があります。

Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Action(改善)

計画を立てて、実行して、

上手く行っているか評価して、

改善点があれば改善して次の計画を立てる。

この繰り返しこそが成果を上げていくという考え方です。

 

勉強も本当は同じ。

しかし、勉強においてこの考え方が語られることはまずありません。

 

例えば机に向かって問題集を解くというのは、

このサイクルのDo(実行)の部分だけです。

一所懸命に勉強している様に見えて、実は4分の1しか勉強していない

と言ってもよいでしょう。

 

テスト結果を評価して(check)、改善策を考え(action)

明日から何をどうやって勉強するのか計画を練る(plan)

勉強残りの4分の3を行うことができる超重要な日がこの日です。

 

過去を振り返っても未来は変わらないですが、

過去のテストを振り返ると未来が変わります。

 

 

 

 

 

テスト問題を予想する超能力者

学校の定期テストや入学試験で、テスト問題を予想することは可能なのか?

 

大学受験ですと、予備校が模試で予想問題を作成したり

「センター試験予想問題集」みたいなものが書店に並びます。

しかし、的中率はあまり高くなさそうです。

むしろ、たまに的中すると大ニュースになります。

 

やっぱり、テスト問題を予想することなど超能力であって不可能なのでしょうか?

 

実は、テスト問題を予想している超能力者は意外といるのです。

 

どういうことかというと・・・

 

もしこれを読んでいるあなたが、勉強に自信がない人だったとしましょう。

それでも、人生に一度ぐらいはテストで満点をとった経験はないでしょうか?

小学校の漢字テストでも、英語の単語テストでも、どんな小さなテストでもいいです。

 

その満点をとれたテストを思い出せたら、それらにはある共通点があるはずです。

そう、それらはおそらく、問題が最初から公開されていました

「このプリントからテストが出るよ〜」と言われて、実際その通り出たパターンですね。

問題がすべて分かっていたので、

ちゃんと対策をしたあなたは満点をとることができました。

 

さてここで、

あなたのクラスにはテストで毎回90点とか満点をとる

非常に成績のよい子はいませんでしたか?

もしいたのならそれはさっき小テストで満点をとったあなたと同じです。

成績優秀なその子は、あらかじめ問題が分かっていたと考えるのが自然です。

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テストの得点率とは、予想が当たった率といっても過言ではありません。

「テスト問題が分かってれば満点を取れる」の逆を言えば、

「満点を取る人はテスト問題を予想できている」わけです。

テスト問題を予想できる超能力者とは、そんなに珍しくないのです!

 

今回は、なんとこの超能力を身につける方法をお話します。

 

さて、テスト問題を予想しようと言うと、

「テストを目的にして学問の本質的な理解につながらないのは邪道だ」とか

「ヤマを張るのは外したときに危険だ」とかいう意見が出てきます。

 

 

これらは、出題者の気持ちになってみれば分かる、的を外した意見です。

出題者はテスト問題を作るときに何を気にするかというと、

重要なこと や

本質的なこと を

バランス良く 出題したくなるものなのです。

 

・どうでもいいこと や

・枝葉のこと を

・偏って 出題する人は、まあいません。

 

つまり、テスト問題を予想するとは、

「重要なこと」や「本質的なこと」を「バランス良く」勉強することであって

邪道でも危険でもありません。

 

ただし、何が「重要」で「本質的」で「バランスが良い」のかは、

人それぞれの感覚で違います。

高校の○○先生と、塾の○○先生と、○○大学の入試問題作成者と、この記事を読んでいるあなたの基準はみんな違う可能性があります。

だから、出題者の気持ちを察する練習が重要であり、

インターネットで検索しても見つからないから自分で勉強する必要があるわけですね。

 

さて、ついにお待ちかねの「テスト問題を予想する超能力」の身につけ方をお話していきます。

 

大げさに言いましたが、問題を予想するということは、

出題者の気持ちを分かってあげるということ。

自分で問題を作ってみればいいのです

 

自分だったら、どの単元から出すのか?

解答形式は選択にするのか、記述にするのか?

難易度は易しくするのか、難しくするのか?

 

実際にやってみないと信じられないと思いますが、

これらのことを考えながら自分で問題を作ろうとすると

例え予想があたらなくても実力がガンガン上がっていきます。

 

ちょっとなれてきたら、自分の問題と

その先生の過去問を比べてみましょう。

「重要」「本質」「バランス」の感覚は近いでしょうか?

それとも全然違うでしょうか?

 

もし感性が合わなくても、とりあえずは相手に合わせてあげてください。

相手に合わせることができれば、それが予想できるということ。

超能力です。

 

友達と問題を出し合うという勉強方法がありますが、

この「出題者の気持ちを知る」という意味で、非常に有効な勉強方法です。

ただ、注意するのは、

可能ならクラスで一番成績がいい人と行ってください。

友達というと自分と同じぐらいの成績の人が多くなるのですが、

慣れないうちはグダグダになりがちです。

予想能力が高い人の視点は非常に参考になるでしょう。

 

なお、もしあなたがクラスで一番成績がいい人の場合は、

一番成績が悪い人と問題を出し合ってみてくださいね。

驚くほどの発見がたくさんあるはずです。

「偏差値」が必要ない本当のワケ

受験となると気になるのが学力偏差値です。

中高一貫校から大学まで、学校の序列はいわゆる偏差値ランキングで表されることが多く、

少しでも上のランクの学校に合格するよう努力することになります。

 

このような、学力や成功を偏差値で測る現状に対し、

「いや、日本の偏差値教育は間違っている!」と批判する人達もいます。

社会に出てからの人の能力は偏差値では測れないので

教育の指標としても不必要であるという主張ですね。

 

まあ、それはそれでごもっともなのですが、

私が学力偏差値が必要ないと考える理由は別にあります。

 

 

学力偏差値とは、例えていうなら温度計です。

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部屋においてある温度計なら、室温が正確に分かります。

 

あるとき、「部屋が寒いな」と感じたとしましょう。

そこで温度計を見たらなんと摂氏0度!寒いわけです。

普通は、暖房を入れて暖かくしようとしますね。

 

もしここで、温度計をお湯に入れて温めだした人がいたらどうでしょう?

「よし!もう30度だ!暖かくなってきたぞ!」

温度計は確かに30度を指していますが、部屋はまったく寒いままです。

まあ、バカですよね。

 

ところが、このバカみたいなことを

受験となると当たり前のようにやってしまうのです。

 

例えば・・・。

 

○○大学が第一志望のKさん。

予備校でこの○○大学の偏差値ランキングをみると

「偏差値65」と書いてあったとしましょう。

算出する予備校によって多少やり方は違いますが、

より正確には「偏差値65の人の合格確率は50%」というなラインを意味します。

 

で、模試を受けてみたら自分の偏差値で「40」が返ってきたとします。

すると

「大変だ!偏差値が25も足りない!なんとかして上げないと!」

と、偏差値を上げるための勉強を頑張りだすのです。

 

これって、部屋が寒いのに温度計を温める人と同じじゃないでしょうか?

 

 

そう、問題は、偏差値を上げたところで

本質的な問題である志望校の合格に近づかないことなのです。

 

○○大学の入試要項を見ても、

「合格条件は偏差値65以上であること」とは絶対に書いてありません。

重要なのは、偏差値を上げることではなくて

合格確率を上げること。

温度計を温めるのではなくて、部屋を暖める必要があります。

 

もっと怖いことを言いましょう。

 

偏差値を上げると、志望校に落ちます。

 

意味が分からないかもしれませんね。

しかしこれは統計上間違いないことなのです。

 

どういうことか?

「偏差値ランキング65」が意味する

「偏差値65の人の合格確率は50%」

という例でいくと、偏差値が65でも半分の人は不合格になるわけです。

では、どんな半分が不合格になるのでしょう?

 

途中で気を抜いた人?

本番に弱かった人?

 

いえ。不合格になるのは

合格のための勉強でなく、偏差値を上げるための勉強をした人です。

暖房を入れなかったので、部屋の温度は全く上がらず寒いままですから。

下手したら凍死してしまいます。

 

偏差値を気にしだすと、志望校合格に必要な勉強が何か分からなくなるというのが

 

 

最大の弊害です。

 

では、偏差値を上げるための勉強と合格のための勉強は何が違うのでしょうか?

参考記事:勉強時間を劇的に削減する3つの極意 その1【ゴールから始める】

もご覧ください。