勉強時間を劇的に削減する3つの極意 その3【出題者を理解する】

極意その3 出題者を理解する

 

成績を上げたかったら、教科の勉強するのはやめましょう。

 

おかしなことに聞こえるかもしれませんが、これは本当です。

教科をいくら勉強しても、成績はたいしてあがりません。

代わりに、「出題者」の勉強をしてください。

 

いわゆる成績が良い人、難関校に合格した人が共通して口にするのは

「テストに出るところは出るし、出ないところはでない」

ということです。ですので、テストに出るところを勉強すれば成績が上がります。

合格もします。

 

ところが、普通の人がこの言葉を聞くと、「ヤマ」をはることと勘違いしてしまうようです。

どういうことかというと、歴史の定期テストを例にとってみます。

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テスト範囲が

・奈良時代の文化

・平安時代の摂関政治

・平安時代の仏教

だったとすると、少ない時間で勉強するために

「平安時代の摂関政治にかける!」とか

「奈良時代の文化は捨てる!」とかして勉強範囲を減らそうとします。

 

この作戦は絶対に成功しません。

 

なぜなら、このような定期テストでは

「全範囲からまんべんなく出題する」というのがほとんどのケースだからです。

どこかの単元にヤマをはったら、仮にその単元が満点でも30点しかとれません。

では代わりに何を考えるべきかというと、

・重要なポイントはどこにあるか?

(藤原氏の家系図にはたくさんの名前があるが、重要人物は誰なのか?など)

・出題形式はどのようなものか?

(年号を憶える必要はあるのか?人名地名を漢字で書く必要があるのか?など)

・難易度はどのくらいの設定か?

(テスト範囲問題集そのままが出るのか、応用問題がでるのか?など)

といった、出題者の傾向です。

 

実は、ほとんどの学校の先生は、生徒にいい点を取ってもらいたいと思っているので

「ここが重要だよ」とか「ここを憶えておくように」とか

授業中にネタばらしをしています。

自作のプリントで授業をする先生であれば

テストもプリントの形式に沿ったものであることが多いですし、

問題集がテスト範囲に指定されていれば、まったく同じ問題が出ることも多いです。

 

言い換えると、

テストとは先生が教えたいことをこめたメッセージなのです。

 

最善のテスト対策は、

「先生の話を聴いて何を伝えたいのか分かってあげること」になります。

 

ここまでは定期テストの例をあげましたが、

入試試験でも同じことが言えます。

 

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なぜ入試試験が存在するのか?

それは形式がペーパーテストでも面接でも論文でも同じです。

「うちの学校にはこういう生徒に来てもらいたい」という表明。

 

新しく入ってくるであろう生徒に、

計算力を求めているのか?読解力を求めているのか?

知識量を求めているのか?独創性を求めているのか?

何を求めているかは学校によって違いますが

その求めているものを分かってあげれば勉強時間は劇的に少なくなります。

 

例えば、東大の英語の入試問題では

文法問題や難しい単語がほとんどでてきません。かわりに、長文が非常に長いです。

東大の先生たちは、受験生に

文法や単語の知識よりも読解能力を求めているわけです。

だから、東大入試において細かい英文法の勉強は必要ありません。

これだけで、勉強すべき事項は大きく削減できます。

 

「出題者を理解する」ことについてはこちらの記事でも深掘りしています。

テスト問題を予想する超能力者

日本人が苦手な英語をしゃべれるようになる、たった1つの方法

英語を苦手と感じている日本人は多いです。

小学校や中学校のときから始めて、大学まで10年以上学んでいるのにやっぱりしゃべれない。

意識の高い人は、通勤途中にリスニング教材を毎日聴いていたりしますが、なかなか身につかない。

 

だから、子供には英語で苦労させたくないと思い、頭や耳が柔軟と言われる小さなころから英会話学校に通わせたりします。

これからも、英語の必要性が高まることはあっても不必要になる時代はまず来ないでしょう。(自動翻訳の発達とか、もしかしたらあるかもしれませんが。)

だから文部科学省も英語教育に本腰を入れ、小学校から英語必修化が始まっています。

 

やはり、日本人の英語力を上げる決めては早期教育なのでしょうか。

 

 

・・・ここでちょっと待って欲しいのです。

実は、「英語がしゃべれない」と言っている多くの日本人が陥っている落とし穴は別にあるのです。

 

ここで、話題を変えてピアノにしてみましょう。

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「私、ピアノが弾けないのです。」

 

もしこう言う人がいたとしたら(ちなみに、私はピアノを弾けません)その理由は明らかですよね。

 

それは、ピアノを弾いていないからです。

 

ピアノを毎日弾けば、絶対にそこそこ弾けるようになります。

決して、日本人はピアノに向いていないとか文部科学省の音楽教育が悪いとかいう話にはなりません。

ところが、英語に関してはこういう議論になってしまうのです。

 

もっと言えば、英語をしゃべれるようになりたいと思う人がリスニングを頑張るのもピアノで考えると不思議なことです。

ピアノのCDを毎日聴いていたら、ピアノは上手になるでしょうか?

そう考えている人がいたら「バカか」と言いたくなりますが、英語に関してはそんなバカな考えを持っているのです。

もちろん、全く知らない曲はCDなどの音源を聴いてからの方が練習しやすいですし、ある程度上手になってからはトップピアニストの表現を参考にするのは非常に有益です。

同じように、英語のCDを聴いて参考にするのはそれなりに有益だと思いますが、ピアノが上達するのはピアノを弾いたときであるように、

英語が上達するのは英語をしゃべったときです。

 

ここまで話しても、「それはそうだけど、そもそも英語がしゃべれないんですよ」という人がいます。

日本の英語教育では、読む・書く・聞く・話すの4技能を学ぶことになっていますが、どうも

読む→書く→聞く→話す という順番でできるようになると思っている人が多いようです。

「辞書を使って読むのはなんとかできるんだけど、自分で作文するのは難しいし、聞いたり話したりなんてとんでもない!」だからまずは「読む」勉強から始めるというわけです。

 

これも、ピアノで考えるとおかしな話なのです。

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さあ、この譜面を「読める」でしょうか?

 

読めた方と読めなかった方が両方いると思いますが、一つ確かなことは

この譜面を読めた人はこの譜面を弾ける人であるということです。

 

 

これは、実は「ねこふんじゃった」の譜面です。

1.譜面を見て「ねこふんじゃった」と分かる(読む)

2.「ねこふんじゃった」の譜面を書く(書く)

3.「ねこふんじゃった」を聞いて音符が分かる(聞く)

4.「ねこふんじゃった」を弾ける(話す)

どれが一番簡単でしょうか?

 

どれが簡単で難しいということはないですよね。

むしろ、弾く(話す)のが一番簡単なような・・・。

 

 

ところが英語になると

I speak English everyday. という文を

「読めて、書けて、聞けてからじゃないと話せない」と考えてしまうのです。

 

そもそも、言語の始りは文字でなくて話し言葉です。文字がない時代から、人類は会話していました。

18世紀のイギリスではほぼ全員が英語を話していたと思いますが、文字を書けた人は20%程度しかいなかったと言われています。現在でも、文字が読めなくて英語を話せる人は世界中にいっぱいいます。むしろ、読み書きができない人とは学校に通えない教育水準の低い人たちのことで、「読む・書く」は高等技能と言えます。

外国語を練習するなら、本当は「読む・書く」よりも「聞く・話す」から始めた方が自然で簡単なんですよ。

 

では、「聞く」と「話す」はどちらから始めるべきなのでしょう?

私は、話せない言葉は聞き取れないと思っています。

これもピアノと同じで、例えば音を聞いて「ド・ミ・ソの和音だ!」と分かるには、ド・ミ・ソの和音を弾いた経験が必要です。

 

つまりは、英語の勉強をするなら、「話す」が一番最初

上級技だと考える必要はまったくありません。

問題は、学校のテストでは「話す」が少ないので、そのままでは得点に直結しないことぐらいでしょう。

ここについては、別の記事で触れたいと思います。